アフリカ小僧、隠居日録

定年後の日常を、隠居所で気ままに書いてるブログです

モロッコでのフランス語

 モロッコ王国の憲法では、国語はアラビア語とベルベル語と決められている。ベルベル語というのは、北アフリカに暮らすベルベル人の言葉である。モロッコにもベルベルの人たちがいる。高速道路の表示なども、アラビア語とベルベル語で書かれている。

 

 他方、フランス語もモロッコ国内でよく使われている。小僧は、モロッコに滞在していたことがある。その間、アラビア語もベルベル語も話せなかったが、まったく不自由しなかった。と、言うのは、モロッコではフランス語が通じるのである。

 

 モロッコは、1912年から1956年まで44年間、フランスの保護領であった。この44年間、フランスの支配下にあった結果、モロッコにはフランス語が残った。フランス語だけでなく、フランス風のカフェ、食事、作法などが、今も、伝統的なモロッコ文化と併存している。

 

 以前、このブログで、小僧は1937年、日本の初代領事、勝田氏がカサブランカに派遣されたと書いたが、実はそれ以前にも「日本の名誉領事」と呼ばれる人物がカサブランカにいた。

 

 名前は、Henri CROZE(アンリ クローズ)、フランス人である。日本政府は、貿易額が少しずつ伸びるモロッコと日本の関係強化のため、1933年、当時カサブランカ商工会議所会頭であった彼に、その仕事を依頼したのである。クローズ氏は、勝田領事が到着する1937年まで、4年間名誉領事であった。

 

 山田吉彦(後の、きだみのる)が書いた「モロッコ紀行」にも、クローズ氏は登場する。次号では、1930年代、フランスの保護領、モロッコにいたフランス人、クローズ氏にスポットを当ててみたい。