アフリカ小僧、隠居日録

定年後の日常を、隠居所で気ままに書いてるブログです

日仏合同対満州投資調査と「海外で戦う人々」

 1933年9月9日の東京日日新聞に、日仏合同の対満州投資調査が行われたとの記事が載っている。ネットで公開されている神戸大学経済経営研究所の新聞記事文庫のおかげで読むことができました。感謝。

 

 満州での日本の権益を確かなものにするため、日本は国際社会の支持を取り付けるための様々な動きをしていた。その一環でフランスを巻き込むための日仏合同投資調査だったようだ。記事には次のように書かれている。

 

 「英国が極東において反日的政策を露骨化しつつあるに反し仏国が満州おける日仏接近の実行計画を進めて来たことは頗る興味を惹きつつある」

 

 さらに満州に対し、好意的な態度を表明するフランスの著名人として、前号で取り上げたリヨテ将軍の令息の名前をあげている。記事にはこうある。

 

 「(モロッコ将軍の令息)リヨテ氏はアントランシヂャン紙を通じて満州国の統治が仏国のモロッコ統治より一層困難なるにもかかわらず実によく統治を保持していることを称賛」

 

 ここでも、前号で取り上げたフランスーモロッコ、日本ー満州の図式が取り上げられている。さらに、満州をめぐって、日本とフランス双方の政治指導者や財界人のきらびやかな肩書と名前が記事では紹介されている。

 

 翻って、モロッコの在留邦人社会はどうであったか?山田吉彦の「モロッコ紀行」第18章は「海外で戦う人々」と題され、日本のビジネスを最前線で担う男たちが描かれている。

 

 「夕方、貿易斡旋所長の瀧大人を私宅に訪ねる。同席者は瀧氏、次席と大阪から商品見本を持って直航してきた山本商会の小野さん、バグダッドから来た兼松商店の上野さん。

 瀧氏は愛用のジョニー・ウォーカーの栓を抜いた。食卓には鋤焼きの用意が整えられ、2打ばかりのビールが部屋の隅に並んでいる」

 

 「瀧氏は老顔をほころばせながら、次席を指して云うのであった。

  ーこの男が威張っとるのじゃ。今年になって豆腐を食ったのはカザ・ブランカではこの男ばかりじゃでな。パリに行ってしこたま食って来をったんじゃよ。それで何ぞというと、それを言って威張りくさっとるんじゃ」

 

 海外、それも日本人からは「僻地」と考えられる土地に駐在したことのある人なら、「あー、いつもの会話だな!」と理解されるだろう。今も、在留邦人が少なく、かつ生活環境が厳しい赴任先で、繰り返される光景かもしれない。

 

 第二次世界大戦後、「炎熱商人」と呼ばれる日本のビジネスマンたちがいたが、それより前の、1938年、モロッコのカサブランカにも異文化や多民族の中で仕事をする日本人がいたのである。もしかしたら、彼らは知らぬ間に、外交や国際ビジネスの大きな枠組みの底流で、日本の満州での動きに関係していたのかもしれない。

 

「仏国の対満投資調査」東京日日新聞、1933.9.9 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫のおかげで読むことができました。感謝!モロッコを保護国とする基礎を築いた仏国リヨテ将軍の子息の名前も載っていた

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