アフリカ小僧、隠居日録

定年後の日常を、隠居所で気ままに書いてるブログです

フランス語夏季講座の思い出

 前号で、1939年7月、8月と後の文芸評論家、中村光夫がツールの語学学校でフランス語の夏期講座を受けたと書いた。翌月の9月1日に第二次世界大戦が勃発するのであるから、のんきだと言えばそのとおりであるが、戦争直前の人々の暮らしというのは案外そんなものなのかもしれない。

 

 中村は一緒に授業を受けたクラスメートのことを、著書「戦争まで」のなかで、記録している。クラスメートと言っても、国籍、年齢、職業など全く違う人々である。中村も次のように書いている。

 

 「年齢も実に雑多で、何がおかしいのか、年中くすくす笑っている十七八のイギリスの男の子がいるかと思うと、恐ろしく呑み込みが悪くて何遍でも愚図愚図質問をくりかへして教師を悩ませる四十くらいのオランダ人の婆さんもいるといった具合です」

 

 小僧も若き日に、スイス、ジュネーブ大学の夏期講座でフランス語を勉強したので、想像できる。ヨーロッパじゅう、いや世界中からバカンスを兼ねて、老若男女が教室に集まるのだ。

 

 中村は下宿も同じで、語学学校に通うロイスタン君という29才のイギリス人と知り合いになる。そのプロフィールが興味深い。

 

 「アフリカのニジェリアにあるイギリスの植民地会社に勤めているのだそうで、ニジェリアに赴任してから三年になり、今度仏領カメルーンの支社に転任することになったので、六か月休暇をもらってフランス語の稽古に来た」

 

 英国、フランスなどがアフリカの植民地経営をしていた時代だと、よくわかるロスタン君の境遇である。厳しいアフリカの生活環境からしばし逃れて、フランスの美しい夏の休暇を楽しんでいたのだろう。

 

 「戦争まで」には、もう一箇所、アフリカの影を引きずる人物が書かれている。中村が宿泊する下宿屋の主人である。しっかり者の奥さんを持つ下宿屋の主人のプロフィールを中村は次のように書いている。

 

 「パリの生まれで、正直なだけで一向気働きのないような男で、農業学校を出てモロッコとチュニスの農園に二十年行っていて、かなりいい仕事をしていたらしいのですが、運悪く会社が倒産したため、財産を造りそこなってフランスに帰り、(中略)結局お内儀さんの力で今の商売を始めた」

 

 英国人にも、フランス人にも、植民地や保護領に行って、財産を造ろうという男たちがいた時代なのだろう。フランスの田舎町、ツールでそんな人生を持つ男たちがフランス語を学んだり、下宿屋をしたり、そして戦争という大きな渦がそんな人生を飲み込んでいくのだ。

 

 コロナが収まって、この夏は、多くの若者や高齢者が「地球の歩き方」をたずさえ、フランス各地で開講されるフランス語夏季講座に出発できることを祈ります。小僧も死ぬ前にもう一度、スイス、ジュネーブ大学の夏期講座に参加したいと思っている。

 

 

 

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