アフリカ小僧、隠居日録

定年後の日常を、隠居所で気ままに書いてるブログです

子どもの日

 明日、5月5日は端午の節句。まだ、しょうぶ湯の用意はしていないが、柏餅は4月下旬から何度も食べてきた。

 

 「子どもの日」でもある。明日は、日本各地で子どもの権利条約や、世界や日本の子どもたちが置かれた状況についてのイベントが開催されるのだろう。

 

 小僧が大好きな映画「お早よう」は子どもが主人公の映画だ。この映画を見返すと、子ども時代の自分がそこにいるような気がしてくるから不思議だ。

 

 

 

 監督、小津安二郎で、1959年5月12日公開の作品だ。小僧、7才の時で、おそらく映画の主人公の兄弟の間の年齢だった。映画に出てくる街の様子、通学の様子、家庭に増えてゆく電気製品、ちゃぶ台でご飯を食べる様子など、昔の我が家そっくりで懐かしい。(映画の家庭の方が、我が家より暮らし向きはいいようだが)

 

 DVDの箱には主人公の子役二人の写真が印刷されている。二人が着ているセーターには小僧も見覚えがあって、子役は自分自身ではないかと思ってしまうくらいだ。

 

 小僧はこれまで仕事で60か国以上を旅してきたが、各地で印象的な子どもたちを見てきた。

 

西アフリカに位置するセネガルの子どもたち。写真 by 小僧。

 アフリカの子どもたちは、小さい弟や妹をおんぶして遊ぶことが多い。この写真で男の子が弟をおんぶしているが、珍しい光景ではない。子だくさんの家庭で、母親も家事などで忙しい。結果、弟、妹の面倒を見ることになるのだろう。

 

 写真右端の子は、赤いトマト缶の空き缶を頭に載せているが、この子は「タリベ」と呼ばれていた。タリベは、「マラブー」と呼ばれるイスラム指導者の家や施設で暮らし、昼間は赤い缶を持ちながら街でお布施を集め、夕方になると施設に戻る子どもだ。貧しい家庭の子や見捨てられた子が多い。

 

 マラブーと呼ばれるイスラム指導者にも、いいマラブーもいれば、悪いマラブーもいる。悪いマラブーに預けられた子どもたちは集金マシーンのように扱われ、食事や教育の機会も十分与えられない。児童虐待だ。

 

 あれから、20年。写真の子どもたちも成人して、セネガルで所帯を持ったり、欧州で出稼ぎしたり、サッカーの選手になったりしていることだろう。彼らが無事成人して、元気でいることを祈る端午の節句である。

 

 タリべとか

 マラブーとか

 小僧とか

 

(ブログランキング競争参加中。下にあるランキングの三つのバナー、タップして頂ければ、励みになります!)

 

スポンサーリンク